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七草文庫

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夕焼け

彼女は生きがいを求めていた。電気をつけていない薄暗い部屋に差し込む真っ赤な夕日が彼女を照らした。カチ、カチ、カチ、という時計の秒針が進む音が静かに響く。

 

 ああ、私は生きているのだ。

 

 彼女は思った。時計が進んでいるならば、私の心臓もきっと確かに動いているのだ。しかし何故、私は生きているのだろう。時計が止まっても、私は生きている。何故だろう。

 

 パソコンの電源を落とし、彼女は部屋の窓から外を眺める。窓を開けると強い風が吹き込んできて彼女は思わず窓枠から身を乗り出した。

 

 この風に煽られて落ちてしまえば―・・・

 

 誰も私が命を絶つなんて思ってくれないでしょうね。

 

 どうせ事故だとか、不注意だったとか言うのよ。

 

 私のことなんて誰も考えてくれないんだわ。

 

 彼女は窓を閉めると、部屋の真ん中に置いてある古びた本を手に取った。古い、そしてとても傷んだ大きな本。彼女が手に取ると頁が抜け落ちて床に散らばった。

 彼女は黙って其れを見ていた。拾うわけでもなく、ただ呆然とそれを眺めていた。足元に散らばった文字のない頁。ただ延々と綴られた代わり映えのない景色。

 

 もう捨ててしまおう。

 

 彼女はそう思った。昔から捨てようなど一度も思ったことはなかったのに、この日ばかりは何故かそういう気分になった。

 

 落ちた頁に手を伸ばす。散らばった景色。何も代わり映えがしない。ただの紙屑。彼女は目を細めた。

 

 あら?こんな頁あったかしら・・・

 

 彼女の足元に散らばった、無数の景色。何度も読んだが、見覚えのない頁が一枚落ちていた。

 

 これって・・・・

 

 彼女が呟く。夕焼けに染まった部屋。つけっ放しのパソコンとその隣に飾られた写真。

 

 これ、私の部屋じゃない。

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ほころび

たまにわからなくなってしまうことがあるんだ。僕が本当に僕なのかってね。僕には恋人がいて、家族もいて、友達もいる。でも、本当に僕はわからなくなってしまう。僕が僕なのかってことが。おかしいだろう?僕もわかっているんだ。

 

 私には恋人がいて、その恋人はたまに変なことを言う。

「僕が僕じゃなかったらどうする。」「もしも僕が君の知らない人間だったらどうする。」「君は本当に僕の事を知っているのかい?」「僕は僕のことを知らないかもしれない。」

 私はその意味がわからなくて、時々こわくて泣いてしまうけれども、彼はその度に優しい微笑みを湛えて私のことを慰める。そういう生活が長く続くと、私もだんだん慣れてきて、彼が彼でなくても良いのではないかと思ってしまうことがある。彼が彼でなくても、私が彼だと思えば彼は彼だから。それでいいのではないかと思ってしまう。

 

 僕の恋人は言う。

 「あなたがあなたでなくても、私にとってあなたはあなただからそれでいいのよ。だから、あなたがあなたでなくても私は構わない。」

 では、僕は必要ない人間なのか。僕は僕が僕であることに意味があると感じていたのに。僕が僕でなければ、それは僕ではない。そんなこと僕にさえわかる。僕が僕なのかわからなくなったとき、彼女はいつも側に居てくれる。しかし、彼女は「僕は僕でなくてもいい」と言う。では僕は必要のない人間なのか。「僕」という存在は居ても居なくてもいいのか。

 

 「わからない。僕には価値がない。本当に価値がないんです。だから、あなたのお話が聞きたくて。それでこのアトリエにお邪魔した次第です。」

 

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絵本

公園で、絵を描き続けている老人がいた。彼は飽きることなくいつも同じ絵を描いていた。何枚も、何枚も、来る日も来る日も書き続けた。しかし、よく見れば少しずつ絵は変化していた。初めは美しい野原だった絵は、黄昏を迎え、やがて荒野となった。それはごく微量の変化だったが、何十年という年月を重ね野原を荒野へと変化させた。老人は黙々と筆を走らせた。彼には知人が居ない。だから描き続けるしかないのだ。

 ある日、一人の少年が老人の絵を盗んだ。一枚ではない。老人が何十年も描き続けた絵を全て盗んだのだ。少年はお金欲しさに其れをどうにかして売ろうと考えた。しかし、名声のない老人の絵が売れるはずがない。少年は知恵を絞った。どうにかして売ることができないだろうか。

 少年は膨大な絵を紐で閉じ、一冊の絵本にした。野原が荒野になる、ストーリー性のないただの画集だったが、少年はそれをとある少女に売ることが出来た。

 少女は小柄なかわいらしい少女だったのだが、絵本を見るなり気に入って、大きなお財布から札束を少年に渡し、その絵本を持って帰った。少女の家は町の郊外にあるお屋敷で、「炭鉱長者」の所有物だった。

 

 おかえり、おや、その本はどうしたんだい。

 

 お父様、ただいま帰りました。路上で少年が素敵な絵本を売っていたので買ってきたのです。どうでしょう、お父様もきっとお気に召されると思うのですが。

 

 少女が父親にその絵本を見せると、父親は繭を顰めると絵本を閉じ、少女から絵本を取り上げた。少女が不思議そうな顔をすると父親は言った。

 

 この絵本はどこで買ったんだ。いい子だから、お父さんに教えなさい。

 

 父親は少年へとたどり着き、やがて老人へと辿り着いた。しかし、父親が老人へ辿り着いた頃、老人は既にそこには居なかった。

 公園には真っ黒に塗りつぶされたキャンバスがぽつんと残っていた。

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