忍者ブログ

七草文庫

Home > ブログ > 短編小説

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

海の魔物は闇に抱かれる

 冬の砂浜は美しい。特に夜、新月の日は格別である。昔北海道に旅行に行った際に見た、真っ暗な海に浮かぶ漁船の漁火の美しさは今でも目に焼きついて離れない。何がそれを「美しい」と思わせるのだろうか。凍てつくような冬の風か、それとも厚く重なり合った雲の濃淡か。

 あれは数十年前の事だった。やはり冬の、しかも新月の日だ。私は夜遅くに家の近くの砂浜を散歩していた。その日は特に寒い日で、厚手のコートを着込んで散歩に出かけたのを覚えている。砂浜は真っ暗だ。深夜という事もあって、人一人歩いていない。昼間は人々が集まり賑やかだが、今は静まり返って波の音だけが聞こえている。まるで美しい絵画の中に一人閉じ込められてしまったような、不思議な雰囲気だった。

 私は若い頃から夜の海が好きだった。真っ黒い水面に月の光が反射されてきらきらと輝くのも美しいが、吸い込まれてしまいそうな闇を湛える海も好きだった。海の上に広がる同じくらい黒い空と、そこで輝く数多の星と、その下にある真っ黒な世界。まるで幼い頃に読んだ「人魚姫」の中の世界のようだ。その中にたった一人で浸れる幸福を、毎日この体で感じたい。それだけが人生のしあわせのように思える。

 人魚姫が王子様を見つめていた海。真っ黒な海の中から、王子様が乗った煌びやかな船を見つめるというシチュエーションが、なんとも幻想的で憧れていた。これほど真っ暗な中では、王子様の乗った船はさぞかし美しく光り輝いていた事だろう。海底には無い、闇夜を照らす温かな光。手を伸ばしても、その手が掴めるはずの無い別世界の光。人魚姫には眩しくて、素晴らしい物に映ったに違いない。だが、逆も然り。その光の中に居る今、私が恋焦がれるのはその真っ暗な闇だ。眩しく光り輝く世界に居るからこそ、全てを飲み込む闇に惹きつけられる。その中に身を投げ出して、人魚姫の居る世界へ落ちて行きたいと思う程に。

 

 海岸と道路を隔てるコンクリートの階段に腰をかけて、家から持ってきた温かいお茶を飲む。冷えた体の内側が仄かに熱を帯びる。背後を通る道路には人も車も通らない。ざざ……と言う波の音だけが聞こえる。

 空を仰ぐと、月明かりのない暗闇の中で宝石のようにキラキラと光る星々がある。普段は月明かりに消されてしまっている星も、暗闇の中では良く映える。私もあの星達と同じだ。眩い光の中では「無い」物と同じ。「ある」のに「無い」のだ。けれど、新月の空の下ではきっと、光り輝くことが出来る。それはとても悲しい事だけれど、とても尊い事なのだ。

 私はいつか、あの闇底へと沈むだろう。人魚姫が光の中へと飛び出していったように、私もまた闇へと沈む。そして泡になって美しい海の一部になるのだ。泡は空気に交じり合って消える。強い光の中で星のように輝くことは出来ずとも、一瞬だけ虹色の美しい光を宿す事は出来る。それは憧れを現実へと昇華させる素晴らしい一瞬だ。

 

 穏やかな波が子守唄を歌うように海岸に押し寄せる。その子守唄を聞きながら、私はその波に抱かれて眠りたい。凍えるような冷たさも、やがて暖かな日差しに包まれて新しい命を育む。その命を育めるように、闇の中に身を溶かして泡となる。そしていつか海の魔物となって、絵本のように闇の中から光を眺めたい。足や光を失おうとも、冷たく暗い皆底から見た光はきっと、この世の何よりも美しい。

 

 波際に立って海を眺める。足元に波が絡み付いて、沖の方へと引っ張ってくれる。その波に任せて足を進めれば、きっと海の底へと連れて行ってくれるだろう。少しだけ前へ進んでみると、痛いくらい冷たい水が身体を這うように上へ上へと昇ってくる。茨のように絡みついて、その冷たさで私を刺す。ちくちくちくちくと痺れるような痛みが足を覆う。

 さらに前へ進む。腰の辺りまで水に浸かり、自分と闇との境目が見えなくなった。空が湛える星と、海が湛える暗闇と、そこに佇む私が一つに溶けているようだ。星々はこんなに近い場所にあったのか。手を伸ばせば掌の中に閉じ込めてしまえそうな気さえする。空と海が溶け合い、私は空の中に浮かんでいる。今ならばこの闇の中を飛んで行ける。

 空を飛ぶなんて、それこそ絵本の中の話だと思っていた。体は地を歩くよりも軽く、自由自在に空を翔る。夜空を翔る海鳥の如く、私は夜空を渡る。煌く星が溶けた海原を越えて、海の闇を掴む。冷たい風が体を攫おうと纏わりついて離れない。その風がとても心地よかった。このままこの風に抱かれて闇に沈んで行きたい。そう思った刹那、どこからか声が聞こえてきた。

 

「もしもその足をくれるなら、闇の中でも生きられるようにしてあげよう」

 

 闇に侵されるまどろみの中、私は問いに対して頷いた。すると、闇が渦を巻いて私の体を闇の底へと運び出した。今まで漂っていた星々は闇の彼方へと消し飛ばされ、空は暗黒へと姿を変えた。どんどんと深い所へ沈んでゆく。そのうちに私の足は溶けるようにして消え、その代わりに醜い魚の尾が生えた。願っていたように、私は人魚姫のいる世界へと落ちたのだ。ただし絵本のような綺麗な足ではなく、怪物のような醜い尾を手に入れて。

私は全ての願いを叶えた。ついに人魚姫の見た光を闇の中から見る事が出来たのである。新月の夜に海面に上がり、街の光を暗い海の中から眺める。それはとても美しく、華やかで、手の届かない尊いものだった。何十年繰り返してもその光が酷く懐かしく、かつて光に中に居たことを思い出す事がある。しかしそれはほんの束の間の事で、体を冷たい水に撫でられればすぐに忘れてしまう。人間であった時間と引き換えに手に入れた永遠を、今は愛しく思う。

あれだけ羨ましく思った新月の海を、死ぬまで眺められるのだから。例え空が遠くても、それを悲しいとは思わない。泡になって消えるまで、私は闇に抱かれたい。

拍手[0回]

PR

問題

 彼女は聖人のような人でした。全てを愛し、愛されるような人でした。特別に美しいというわけではありません。何処にでもいる普通の女性です。では何故「聖人」のような人間だったのかと言うと、心が澄んでいる人だった、という事が原因だったように思います。どんな苦難も受け入れ、どんな罪をも許す姿が菩薩のように見えたのかもしれません。きっと誰が見てもなにか神聖な存在のように感じるでしょう。

 そんな彼女だったのですが、ある日人を殺めてしまいました。『聖人』のような人であるにも関わらず、何故彼女は人を殺めるという許されざる罪を犯してしまったのでしょうか。

 

 警察が部屋に入った時、彼女は手に包丁を持っていたそうです。その包丁は血に塗れていて、真っ白なワンピースも赤黒く塗りつぶされていたのだそうです。彼女は警察を見るとにっこりと笑って、言いました。

 

「『彼女』を殺したのは私です」

 

 彼女の足元には女性が倒れていて、胸の辺りが赤く汚れていたそうです。警察はそんな彼女の様子を不気味に思ったそうですが、抵抗することもなさそうなので「気は触れていないのだな」と安心したのでしょう。婦人警官が彼女に付き添って警察署まで連れて行ったそうです。

 しかし、彼女は取り調べ中に奇妙なことを言い出したらしいのです。

 

「もしも私が神や聖人の分身なのだとしたら、『彼女』はきっと救われたのだと思います。私は『彼女』を愛していました。それと同じように、『彼女』も私を深く愛してくれていました。『彼女』を殺めるという事は、私にとっても『彼女』にとっても幸福なのではないでしょうか」

 

 それを聞いた警官は、彼女の言葉の真意を理解できず、やはり気が触れているのではないかと感じたそうです。果たして彼女はおかしくなってしまったのでしょうか。私は、彼女はとても冷静だったのだと思うのです。彼女は聖人のような人間だったからこそ『彼女』を殺したのではないのかと。とはいえ、これは私の推測に過ぎず、真実は彼女しか知りえないのですが。

 

 彼女は果たして、聖人だったのでしょうか?

拍手[0回]

森の魔物

男は暗闇の中を歩いていました。細くて頼りない炎が灯るランタンを一つ携えて。この森は深くて冷たい。そびえる木々は行く先を塞ぎ、動物達は息を潜めて男を見つめています。男が吐く息は白い煙となり男の肌を撫でるのでした。

 口を閉ざした森の中にはぱき、ぱき、という枝を踏みしめる音だけが響きます。その音が余計に不安を煽ります。不安に押しつぶされそうな心を諫めるように男は何も言わずに歩き続けました。時々何かを思うように足を止めますが、また歩き出します。その繰り返しでした。そんな男を見つめるように、森は黙ったままだったのです。

 
 『私』はそれをずっと男のすぐ後ろで見ていました。男は『私』の存在に気付くことは無く、ただどこまでも続く森の中を彷徨っています。出口などこの森には存在しないのですがね。『私』は男の後をずっとついていきました。男が歩みを止めれば『私』も歩を止め、歩き出せば『私』も歩き出します。言葉を発することも、足音を響かせることもなく、まるで影のように男の後を進みました。

 『私』は男が泉で水を飲もうとすれば池を氷で覆い、男が切り株に腰を掛けようとすれば毒蛇をそこに侍らせ、木の実で飢えをしのごうとすれば小鳥を呼び寄せそれを啄ばませました。茨を道に茂らせて荷物に穴を開け、霰を降らせて上着を駄目にしました。男が横になろうとすればどこからか狼の遠吠えを響かせ、弱音を吐こうとすれば家族の声の幻聴を聴かせました。すると、男は見るからに疲弊し、道を歩む足取りもおぼつかないようになったのです。『私』が男を森に呼び寄せてから一週間が経った頃でした。

 
 男は長い時間水も食料もろくに得ることが出来なかったせいか、時々道の真ん中に佇んだままぼーっとするようになっていました。『私』はその後ろに立って男を見つめていたのです。男に『私』は見えていません。『私』はただ、男を見つめていました。ついに男は道の真ん中にしゃがみこんで俯いてしまいました。肉体的に限界のようでした。

 
 『慈愛に満ちていて慈悲深い心を持った私』はそんな哀れな男に救いの手を差し伸べることにしました。なんと『慈悲深い』のでしょう。そうと決まれば男に青い鳥に運ばせた「招待状」を渡し、『私』は男の先回りをして「お茶会」の準備をしなければなりません。冷たく澄んだ泉の畔に金糸で彩られた真っ赤なカーペットを敷いて、真っ白な大理石で出来たテーブルと椅子を並べ、温かい紅茶と頬が落ちそうになるほど甘いドーナッツを用意して疲れ切った可哀想な男をもてなすのです。小鳥に導かれてやってきた男は空腹に耐えられずドーナッツを手に取り口にするでしょうね。

 『私』はそれを椅子に座ってじっと眺めているだけでいいのです。男が甘いドーナッツと温かい紅茶を夢中になって貪っている間、男の正面の椅子に腰を掛けて微笑んでいるだけでいいのです。男は紅茶で喉を潤しドーナッツで腹を満たすと、そこに跪いて手を組みこう言うでしょうね。

 

 「こんな場所にこんな物があるなんて…。これはきっと『神様』の仕業に違いない!私を邪な魔物から守ってくれた『神様』…、嗚呼、私めの命を救ってくださり有難うございます!」

 

 そして森が再び光と賑やかさを取り戻し村への扉を開くと、男は村に走って帰り『森を閉ざし人を惑わせる魔物』と『魔物から人を守り救う神』の『奇跡の話』を興奮気味に村人に話すのです。その話を聞いた人々は『魔物』を恐れ、今までの所業を悔い、『愚かな人間をも救った神』を崇めるでしょうね。『魔物』を恐れた人々は祭壇を作り、森を神域として崇め、『私』は再び静かな日々を取り戻すのです。

めでたし、めでたし。

拍手[0回]

PAGE TOP