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七草文庫

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終電

この電車は最終電車。だから僕は片道切符を買った。もうこの電車のあとには電車は無い。帰る電車もない。だから僕は片道切符を買った。荷物はコインロッカーに入れて、片道切符とロッカーの鍵を握り締めてホームに入る。

 外は真っ暗。ここは田舎だから。駅の周りには何もない。街灯も、店も、家に帰る人も。駅のホームには僕ひとり。駅の明かりだけが真っ暗な田んぼだらけの場所にぽっかりと浮かんでいる。駅員さんも居ない。電車を待つ人もいない。

 

電車はまだ来ない。僕はホームのベンチに腰を掛ける。吐く息が白い。しーんと静まり返ったホーム。まだ冬だから、冷たい空気が僕の隣に座っている。手をこすり合わせて少しでも暖かくしようとすると、ギターを弾きすぎて固くなった指の皮が剥けていて痛い。ギターは置いてきた。後悔はしていない。

この電車は最終電車。だから僕はそれを待つ。もうこの電車以外に乗る電車はない。これに乗って僕は遠い、遠い場所へ行く。最終電車は何処までも行く。最終だからね。僕はそう呟いて、一人で笑った。

 

しばらくすると、ホームに電車が入ってきた。旧式の昔ながらの電車。もちろん乗客はゼロ。僕はベンチを離れて電車に乗った。車内は暖房が効いていて暖かい。思わずほっとして、誰も居ない椅子に腰を掛ける。僕の貸切だ。さあ、何処まで行こう。

この電車は最終電車。だから帰りの切符は買っていない。

 

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夕焼け

彼女は生きがいを求めていた。電気をつけていない薄暗い部屋に差し込む真っ赤な夕日が彼女を照らした。カチ、カチ、カチ、という時計の秒針が進む音が静かに響く。

 

 ああ、私は生きているのだ。

 

 彼女は思った。時計が進んでいるならば、私の心臓もきっと確かに動いているのだ。しかし何故、私は生きているのだろう。時計が止まっても、私は生きている。何故だろう。

 

 パソコンの電源を落とし、彼女は部屋の窓から外を眺める。窓を開けると強い風が吹き込んできて彼女は思わず窓枠から身を乗り出した。

 

 この風に煽られて落ちてしまえば―・・・

 

 誰も私が命を絶つなんて思ってくれないでしょうね。

 

 どうせ事故だとか、不注意だったとか言うのよ。

 

 私のことなんて誰も考えてくれないんだわ。

 

 彼女は窓を閉めると、部屋の真ん中に置いてある古びた本を手に取った。古い、そしてとても傷んだ大きな本。彼女が手に取ると頁が抜け落ちて床に散らばった。

 彼女は黙って其れを見ていた。拾うわけでもなく、ただ呆然とそれを眺めていた。足元に散らばった文字のない頁。ただ延々と綴られた代わり映えのない景色。

 

 もう捨ててしまおう。

 

 彼女はそう思った。昔から捨てようなど一度も思ったことはなかったのに、この日ばかりは何故かそういう気分になった。

 

 落ちた頁に手を伸ばす。散らばった景色。何も代わり映えがしない。ただの紙屑。彼女は目を細めた。

 

 あら?こんな頁あったかしら・・・

 

 彼女の足元に散らばった、無数の景色。何度も読んだが、見覚えのない頁が一枚落ちていた。

 

 これって・・・・

 

 彼女が呟く。夕焼けに染まった部屋。つけっ放しのパソコンとその隣に飾られた写真。

 

 これ、私の部屋じゃない。

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ほころび

たまにわからなくなってしまうことがあるんだ。僕が本当に僕なのかってね。僕には恋人がいて、家族もいて、友達もいる。でも、本当に僕はわからなくなってしまう。僕が僕なのかってことが。おかしいだろう?僕もわかっているんだ。

 

 私には恋人がいて、その恋人はたまに変なことを言う。

「僕が僕じゃなかったらどうする。」「もしも僕が君の知らない人間だったらどうする。」「君は本当に僕の事を知っているのかい?」「僕は僕のことを知らないかもしれない。」

 私はその意味がわからなくて、時々こわくて泣いてしまうけれども、彼はその度に優しい微笑みを湛えて私のことを慰める。そういう生活が長く続くと、私もだんだん慣れてきて、彼が彼でなくても良いのではないかと思ってしまうことがある。彼が彼でなくても、私が彼だと思えば彼は彼だから。それでいいのではないかと思ってしまう。

 

 僕の恋人は言う。

 「あなたがあなたでなくても、私にとってあなたはあなただからそれでいいのよ。だから、あなたがあなたでなくても私は構わない。」

 では、僕は必要ない人間なのか。僕は僕が僕であることに意味があると感じていたのに。僕が僕でなければ、それは僕ではない。そんなこと僕にさえわかる。僕が僕なのかわからなくなったとき、彼女はいつも側に居てくれる。しかし、彼女は「僕は僕でなくてもいい」と言う。では僕は必要のない人間なのか。「僕」という存在は居ても居なくてもいいのか。

 

 「わからない。僕には価値がない。本当に価値がないんです。だから、あなたのお話が聞きたくて。それでこのアトリエにお邪魔した次第です。」

 

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