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七草文庫

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サーカス

 僕の町にサーカスが来た。名前も聞いたことのないような小さなサーカス。郊外の大きな空き地に、大きくて真っ赤なテントを張って、聴くだけで心躍るような明るい音楽を街中に響かせて。

 ピエロは街中を徘徊し、大量のビラを空中にばら撒く。子供ははしゃぎながらそのビラを親に見せ、サーカスへ誘う。僕はその川のような流れに逆らう。サーカスとは反対の方向へと歩を進める。何故だろう、サーカスが嫌いだった。

 心のなかにどろ、どろ、どろ、と黒いドロのようなものが流れていて、陽気な音楽さえも不気味なものに変えてしまう。僕は穢れているから。皆が楽しむような、あの素敵なサーカスも素直に見れないのだろう。

 

街は夕暮れ。大通りには明かりが点され、街中のネオンが煌々と輝く。いよいよサーカスが始まるぞ。多くの人々が郊外へと吸い込まれてゆく。僕はその流れに逆らう。

 何故だろう、僕が流れに逆らっているのは。長いものに巻かれろ、とは言うが、僕はその気になれなかった。あのサーカスに行ってしまえば、僕も大きな社会の流れの一部。そのことが気に食わないのかもしれないが、そうでないのかもしれない。

 どん、どん、と、何度もすれ違う人とぶつかる。しかしどうだろう。彼らは謝りもしないし、僕のほうを見もしない。彼らにとって僕など居ないも同然なのだ。彼らの目にはサーカスしか映っていないのだから。まるで虫だ。街灯に集まる虫と同じ。では僕は難なのだろう。虫にもなれない、何者かなのか・・・。

 ふいに目の前に真っ白な手が現れた。布の質感が不気味な手。顔を上げると真っ白な顔がそこにある。真っ赤な口が大きく開いて僕にこう言う。

 

 「君もサーカスにおいでよ。サーカスは楽しいよ。」

 

 得体の知れないそれは、まるで変化のない笑顔を浮かべて僕の手を掴んでチラシを握らせる。そしてチラシを渡すとすぐに僕に興味をなくした。

 ああ、そうだ。大人なんてそんなものさ。これは所詮作られた楽しさなのだろう。僕はピエロに背を向けて、再び人々に逆らって歩く。どろ、どろ、という心のドロはサーカスでは拭えない。サーカスも僕のドロと同じもので出来ているから。

 

 駅前は寂しいほど人がいない。皆あのサーカスに行ったんだろう。あのドロの塊に吸い込まれて、偽者の夢を見る。でも彼らはそのことに気がつかないのだろう。

 僕は手の中のチラシを広げる。すでにぐしゃぐしゃになっているチラシ。黄色い紙に熊や象などの動物たちが楽しそうに踊っている絵が描かれている。その下でピエロたちが不気味な笑みを湛えている。

 
 『夢と希望のサーカス。あなたに夢を届けます。』

 
そんな文句が宙を舞う。だが、どうだろう。一番目立つ、サーカスの名前の下に大きく金額が踊る。あのサーカスに行った人々は夢の代償を払うのだ。決して安いとは言えない代償を。彼らが汗水たらして働いて、ようやく得たであろうお金を払うのだ。

 そしてサーカスは作るのだ。彼らが見る夢を。笑みを湛え、体を張って夢を見せ、そしてそれをお金で売るのだ。僕の心のドロは、お金で買った商品では落とせない代物なのさ。サーカスは夢というエゴを売る。でも誰もその夢がサーカスの心のドロだとは気づかないのさ。

 そうしてサーカスは今日も大きな口をあけて人々を待っている。人々を吸い込んで、その大きな口を閉じてしまうのだ。

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