- 2024/11/24
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人里はなれた山の奥、まだあまり整備が行き届いていない峠の街道に「狐峠」と呼ばれる場所があった。その由来は人を化かす狐が多く見られたという伝承に基づくものだったが、人が道を開くようになり、それは「伝承」とされるようになっていったのである。とはいえ、人が通るようになった時代にもまだ狐はその峠に息づいていた。
*
ある所に六助という薬売りがいた。六助は流れの薬売りだったので、いつか大きな町に腰を下ろして自分の店を持ちたいと考えていた。しかし、一日にいくつ売れるかという現状が数年続いている今、それは夢のまた夢としか言えないのであった。本人もそれを自覚しているようで、「俺は死ぬまでに日本中の町を渡り歩くのが夢なんだぁ」と言うのが口癖になっていた。
そんな彼が狐峠を越える事になったのは、雪が降り続ける冬の日の事である。次の町へ行くには狐峠を越え、その後に続く山々を抜ける以外に方法は無く、仕方なしに冬山を越えることになったのである。麓の村で食料や備品を買い、六助は狐峠への山道を歩き出した。この時期、山は雪で閉ざされ、山に慣れた村人ですら山を越えようと言う者はいない。村人は「無茶だ」と六助を止めたが、六助はそれを振り切った。彼にとって商売こそが命。手持ちの薬を売り切らねばこの冬も越せぬのだ。
真っ白で、誰の足跡も無い道を進む。雪に覆われて道であるかも分からない道だ。吹雪いていない事が幸いして、道行は順調のように思えた。六助は真っ白な息を吐きながら、山道を登る。狐峠の噂は村人に聞いている。何でも、人を化かす狐が出るそうだ。今時「化かす」狐が出るとはにわかに信じがたいが、化かされて身包みを剥がされでもしたらたまらない。こんな人一人通らない冬山で。万が一狐を見つけたら、懐が刀で捌いてやろう。そんな事を考えながら、黙々と足を動かした。
*
朝早く村を出て、丁度太陽が真上を通るかという頃、六助は上り坂を終えた。狐峠と呼ばれる場所である。何事も無くこの峠を越えようとすることに安堵して、近くにある大木の横に腰をかけて休息することにした。村で買った握り飯を食べるために荷を解き、笹の葉に包まれた握り飯を取り出す。笹の葉を解くと中から雪のように白く、ふっくらとした握り飯が2つ顔を出した。これは美味しそうだ。六助は思わず出そうになった唾を飲み込む。
早速握り飯を一口食べようとした時、何か見られているような気がした。顔を上げて辺りを見回すと、道の向側の茂みに動く物を認めた。目を凝らしてじっと見ると、犬のような物がおぼつかない足取りでこちらに歩いてくるのがわかった。もしや、と六助は思った。もしかしてあれは、狐峠に出るという化け狐なのではないだろうか。近づいてくるにつれて、やはりそれは犬ではなく狐なのだという事がわかった。
それはこの近くでは見かけない真っ白な狐だった。良く稲荷の眷属が白狐であると言うが、まさに絵に描いたような白狐である。その白狐が酷く痩せて今にも倒れそうな状態で六助に近づいてきた。
「あっちへ行け」
六助はしっしと手を振って狐を追い払おうとしたが、狐は歩を止めず、ついに六助の足元まで来てしまった。六助は白狐だという事に怖気づいていたが、きっと化け狐が握り飯を狙って白狐に化けているのかもしれないと考え、懐にしまってある小刀に手を当てていた。狐は六助の足元に座ると、頭を下げてこう言った。
「お願いです。その握り飯を少し分けて頂けないでしょうか。飢えていて死にそうです」
六助は「やはり」と思い、
「おい化け狐、騙そうとしても無駄だぞ。神様のお使いのフリをして俺の握り飯を奪おうとしているんだろう。俺の大切な食料をお前にやるわけにはいかんのだ。さっさとどっかへ行け。行かなければお前を裂いて売り飛ばしてやるぞ」
と狐に怒鳴りつけた。すると狐は悲しそうに項垂れて言った。
「そう言わずに、どうかお助け下さい。私はこの峠に祀られている御堂稲荷に仕えている椿狐と申します。昔は村人が大切に祀って下さっていたのですが、ここ最近村人達は主の事を忘れ祠もほったらかし。今や化けて人に悪戯をするという言われよう。このままでは私はおろか、主まで死んでしまいます。もしもその握り飯を一つ分けて頂けたら、貴方様には必ずお礼を致します。そして、貴方の後ろにある祠を綺麗にしてくれたら、貴方に一生困らないだけの富を約束すると主も申しております。」
その言葉を聞いた六助は「馬鹿ばかしい」と思ったが、立ち上がって振り向くと、自分が背をもたれていた大木の根元に小さな祠が崩れているのを見て腰を抜かした。この白狐は本当に神様のお使いだったのだと感じ、自分が言い放った言葉を思い出して真っ青になった。それを見た狐は男に言った。
「大丈夫、貴方に言われたことは主も気にしていませんよ。私の事を信じてくれるのなら、どうかお願いします。」
六助は狐を信じ、握り飯を与えた。そして崩れた祠を組みなおし、その周囲を掃除した。
*
その後、無事隣町に着いた六助の薬は飛ぶように売れ、数年経った頃には大きな財を成すまでになった。あの時助けた白狐のおかげだと考えた六助は峠の麓の人間に訳を話して祠を譲ってもらうと、狐峠を降りた場所に社を作り、そこに白狐と稲荷神を祀った。これが御堂稲荷神社の謂れである。
御堂稲荷神社は人づてに商売繁盛の稲荷神社として有名になり、多くの参拝者が訪れるようになった。やがてその社の周りに村が出来、それが栄えて町になった。その町はやがて商売の町として大いに栄え、六助が立ち寄った狐峠の麓の村は「社の入り口」として賑わったという。