- 2024/11/24
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御堂稲荷町は「狐峠」と呼ばれる峠を越えた先にある「商売の町」である。そこに店を構える事は商人にとっての「栄誉」と「夢」であり、かつてはその権利を巡って争いが繰り返された。その結果、財力と人脈のある「勝者」のみが店を置くようになってしまったのだった。それを「良し」としなかった御堂稲荷は彼らが持つ「富」や「名声」に関わらず、「才」によって出店者を決めようとしたのである。その結果生まれたのが、十年に一度、町に店を置く商人と町に店を置きたい商人が全員で参加する「くじ」によって新しい店を開くことが出来る制度であった。
「新島」という新入りの店だけを集めた地域を司る「新島稲荷神社」が開く祭事で、この「くじ」によって「縁がある」とされた商人は御堂稲荷町に店を置くことを許可され、「縁が無い」とされた商人は町に店を置くことを許されない。御堂稲荷町は御堂稲荷神社によって治められる商売の町であり、その場で店を開くということだけでも「優秀な商人である」と認められたも同然であるため、当然「くじ」の倍率は高い。よって、「当たり」を引いた商人は「縁がある」と言っても等しいのである。
十年に一度という決まりにも目的がある。一つ目はこの町に長く店を構える商人に「怠けたら町から追い出されるかもしれない」という不安を抱かせ、彼らの「怠慢」を無くすため。二つ目は新しく「縁がある」と認められた店を新島に集め、十年で「本当に商売の才があるのか」という事を見定めるためだ。もしも十年で「才がない」とされれば、次の「くじ」で「外れ」を宛がわれて町から追い出され、追い出された店の数が「空き枠」として新たな才能に貸し出される。これは御堂稲荷町の「新島」以外の地域にいる商人にも適用され、例え百年そこに店を構えていたとしても「外れ」を引けばそこを退かなければならない。そのような仕組みだったため、御堂稲荷町に店を置く商人は自分の腕を磨かざるを得ず、長年に渡り「天下一」と言われる商売に強い町となったのだった。
御堂稲荷は定期的に店を入れ替える事によって、常に「最先端で新しい」町を目指した。例え外で成功していない商人でも、「才能」や「発想」があればこの町に「必ず」迎えられ、十年の機会を与えられる。十年以上腕を磨いた商人は、例え町を追い出されても「町の外」で稼ぐ程の力量を身につけており、「十年で富を築くことが出来る」と謳われたのである。
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さて、何故このような話をしたのかと言うと、今日はその「くじ」で新たに当たりを引いた商人が町に入る日だからである。この町で店を開くことになった商人はまず新島に店を置くことになる。新島は言わば「新人特訓場」のような場所で、十年の鍛錬を積み新島稲荷に実力を認められて初めて、新島以外の地域へ店を出すことが出来る。本来商店は各々の品揃えによって住み分けを義務づけられている。例えば「鍛冶」や「陶芸」など「火」に縁が深い店は「火守」と呼ばれる地域に居住し、「米」や「酒」など「食」に縁が深い店は「酒守」に住む。そしてそれらの地域を御堂稲荷神社に従う稲荷神社が治めることによって治安が守られているのだ。新島はその例外として、「初めてこの町に店を出す全ての商人」が集まる場所とされている。十年のうちに店の方向性が確立され、それが「一人前」だと認められて初めて、その分野の専門店として各々の地域に根を下ろすことが出来るのだ。
ちなみに、今年新しく新島に入る商人は全部で三人。これは御堂稲荷町に店を置く商人のうち「外れ」を引いた商人、もしくはここ十年のうちに町を出て行った人間の数が三人だったことを意味する。その空き枠を埋めるべくその三人が選ばれたのだった。これは例年に比べると「かなり少ない」と言える。
選ばれた者は決められた日時に関を通り、新島稲荷神社に集まる。そこで町の仕組みについて一通り説明された後、自分が店を開く事を許可された場所に案内される。正直に言うと「場所」によってかなり売り上げが左右されるのだが、どう対処するのかと言うことも腕の見せ所であったりするのだ。
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新島はこの日、「くじ」の当選者がいよいよ町に入ると言うことで賑やかだった。御堂稲荷町には地域ごとに違う年中行事があり、年中祭りが行われているのだ。今日はその中でも町にとって大切な行事であるため、新島の「中」も「外」も露店や神輿を出して派手に祝っていたのである。この町の鎮守である御堂稲荷神社も例外ではなく、新島から離れているにも関わらず花火を打ち上げるほどの浮かれようであった。
新島に新しく入った三人はそれぞれの店に入った後、再び新島神社に集められ、地域の先輩達の歓迎を受けた。新島はそれぞれの地域に配属される前に、唯一「どの分野の商人とも縁を結べる」格好の場所なのである。周りに知り合いが居ない新島ではとにかく人脈を広げる事に貪欲ならなければならず、「いつまでも」新島にいる先輩もまた然りだった。
「いつまでも」新島にいる商人は少なからずいる。御堂稲荷町に属する大半の地域には「定員」が決まっており、その「枠」が減らない限り地域には入れない。これは山の中にある町の立地の悪さに由来する。御堂稲荷町には代々店を続けている家も多く、そう簡単に欠員は出ない。欠員が出るのは店を継ぐ跡取りがおらず店を畳む時や、事情があって外の町へ出る店があったとき、もしくは「外れ」を引いたときである。とはいえ「くじ」は十年ごとなので「全くでない」という事ではない。毎回十枠ほど出るのが通例である。「才がある」とされた商人は新島から出て本町に店を持つが、いつまでも選ばれない「ちょっと才がある」商人は「外れ」を引く場合を除き、実力がついたと感じたら自分から外に出て商売を始めることが多いのである。
しかし、「自分に才能がない」と感じている商人は町から出ることを恐れ、新島に「いつまでもいる」事も少なくはない。新島稲荷は彼らのせいで「枠が減らない」為に新しい人間が参入しにくくなる事を危惧しているため、彼らが「外れ」を引くのは近い未来の事かもしれない。
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新島稲荷神社は、新人とそれを歓迎する新島の住人達でごった返していた。が、それは会議などに使われている大広間のみで、新島稲荷のいる本殿はいつも通り静寂に包まれていた。御堂稲荷町がまだ二百年余りという短い歴史であること事からわかるように、この町に配置されている神社の歴史もまた短い。中には「火守」の神社のように「外」から持ち込まれた神社もあるが、ほとんどが町の営みの中で作られた「新しい」社である。
新島稲荷神社も同じく、この新島の形成と共に作られた神社である。社の主は元々この辺りを縄張りにしていた老狐で、山を切り開く際に「商人の『縁』を見定める『くじ』を開催・管理する」ことを条件に町を与えられた「出世狐」である。狐峠の近隣の山に住んでいたため、御堂稲荷とは昔からの友人である。よってこのような重要な仕事を分け与えられたのだ。真面目な性格故か、四六時中仕事をしている為、社から出る事が少なく、長年新島に住んでいる人間の中には「一回も見ない」まま新島を出る者も多い。この点を上げて「新島の稲荷は変わり者だ」と言う人間がいる。他の地域は店と神社の付き合いが長く人と神との距離も短いが、新島は人の出入りが激しいため、人と神との関係も他とは違うのである。
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この一日が終わると、新島には新たな十年が訪れる。他の地域とは違い、新島の時間は早くて忙しい。新島稲荷神社にとっても新島にとっても、十年という時間はあっという間なのである。新島の商人達は、今日も新島からの卒業を夢見て汗を流している。
人里はなれた山の奥、まだあまり整備が行き届いていない峠の街道に「狐峠」と呼ばれる場所があった。その由来は人を化かす狐が多く見られたという伝承に基づくものだったが、人が道を開くようになり、それは「伝承」とされるようになっていったのである。とはいえ、人が通るようになった時代にもまだ狐はその峠に息づいていた。
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ある所に六助という薬売りがいた。六助は流れの薬売りだったので、いつか大きな町に腰を下ろして自分の店を持ちたいと考えていた。しかし、一日にいくつ売れるかという現状が数年続いている今、それは夢のまた夢としか言えないのであった。本人もそれを自覚しているようで、「俺は死ぬまでに日本中の町を渡り歩くのが夢なんだぁ」と言うのが口癖になっていた。
そんな彼が狐峠を越える事になったのは、雪が降り続ける冬の日の事である。次の町へ行くには狐峠を越え、その後に続く山々を抜ける以外に方法は無く、仕方なしに冬山を越えることになったのである。麓の村で食料や備品を買い、六助は狐峠への山道を歩き出した。この時期、山は雪で閉ざされ、山に慣れた村人ですら山を越えようと言う者はいない。村人は「無茶だ」と六助を止めたが、六助はそれを振り切った。彼にとって商売こそが命。手持ちの薬を売り切らねばこの冬も越せぬのだ。
真っ白で、誰の足跡も無い道を進む。雪に覆われて道であるかも分からない道だ。吹雪いていない事が幸いして、道行は順調のように思えた。六助は真っ白な息を吐きながら、山道を登る。狐峠の噂は村人に聞いている。何でも、人を化かす狐が出るそうだ。今時「化かす」狐が出るとはにわかに信じがたいが、化かされて身包みを剥がされでもしたらたまらない。こんな人一人通らない冬山で。万が一狐を見つけたら、懐が刀で捌いてやろう。そんな事を考えながら、黙々と足を動かした。
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朝早く村を出て、丁度太陽が真上を通るかという頃、六助は上り坂を終えた。狐峠と呼ばれる場所である。何事も無くこの峠を越えようとすることに安堵して、近くにある大木の横に腰をかけて休息することにした。村で買った握り飯を食べるために荷を解き、笹の葉に包まれた握り飯を取り出す。笹の葉を解くと中から雪のように白く、ふっくらとした握り飯が2つ顔を出した。これは美味しそうだ。六助は思わず出そうになった唾を飲み込む。
早速握り飯を一口食べようとした時、何か見られているような気がした。顔を上げて辺りを見回すと、道の向側の茂みに動く物を認めた。目を凝らしてじっと見ると、犬のような物がおぼつかない足取りでこちらに歩いてくるのがわかった。もしや、と六助は思った。もしかしてあれは、狐峠に出るという化け狐なのではないだろうか。近づいてくるにつれて、やはりそれは犬ではなく狐なのだという事がわかった。
それはこの近くでは見かけない真っ白な狐だった。良く稲荷の眷属が白狐であると言うが、まさに絵に描いたような白狐である。その白狐が酷く痩せて今にも倒れそうな状態で六助に近づいてきた。
「あっちへ行け」
六助はしっしと手を振って狐を追い払おうとしたが、狐は歩を止めず、ついに六助の足元まで来てしまった。六助は白狐だという事に怖気づいていたが、きっと化け狐が握り飯を狙って白狐に化けているのかもしれないと考え、懐にしまってある小刀に手を当てていた。狐は六助の足元に座ると、頭を下げてこう言った。
「お願いです。その握り飯を少し分けて頂けないでしょうか。飢えていて死にそうです」
六助は「やはり」と思い、
「おい化け狐、騙そうとしても無駄だぞ。神様のお使いのフリをして俺の握り飯を奪おうとしているんだろう。俺の大切な食料をお前にやるわけにはいかんのだ。さっさとどっかへ行け。行かなければお前を裂いて売り飛ばしてやるぞ」
と狐に怒鳴りつけた。すると狐は悲しそうに項垂れて言った。
「そう言わずに、どうかお助け下さい。私はこの峠に祀られている御堂稲荷に仕えている椿狐と申します。昔は村人が大切に祀って下さっていたのですが、ここ最近村人達は主の事を忘れ祠もほったらかし。今や化けて人に悪戯をするという言われよう。このままでは私はおろか、主まで死んでしまいます。もしもその握り飯を一つ分けて頂けたら、貴方様には必ずお礼を致します。そして、貴方の後ろにある祠を綺麗にしてくれたら、貴方に一生困らないだけの富を約束すると主も申しております。」
その言葉を聞いた六助は「馬鹿ばかしい」と思ったが、立ち上がって振り向くと、自分が背をもたれていた大木の根元に小さな祠が崩れているのを見て腰を抜かした。この白狐は本当に神様のお使いだったのだと感じ、自分が言い放った言葉を思い出して真っ青になった。それを見た狐は男に言った。
「大丈夫、貴方に言われたことは主も気にしていませんよ。私の事を信じてくれるのなら、どうかお願いします。」
六助は狐を信じ、握り飯を与えた。そして崩れた祠を組みなおし、その周囲を掃除した。
*
その後、無事隣町に着いた六助の薬は飛ぶように売れ、数年経った頃には大きな財を成すまでになった。あの時助けた白狐のおかげだと考えた六助は峠の麓の人間に訳を話して祠を譲ってもらうと、狐峠を降りた場所に社を作り、そこに白狐と稲荷神を祀った。これが御堂稲荷神社の謂れである。
御堂稲荷神社は人づてに商売繁盛の稲荷神社として有名になり、多くの参拝者が訪れるようになった。やがてその社の周りに村が出来、それが栄えて町になった。その町はやがて商売の町として大いに栄え、六助が立ち寄った狐峠の麓の村は「社の入り口」として賑わったという。